6月8日月曜日に吉祥寺で観てきた。
映画館で台湾映画を観るのは何年振りだろうか?
最後に観たのは何だっけ?思い出せない、という感じなのよね。
日本語のタイトル『霧のごとく』
英語のタイトル『Foggy Tale』
台湾の白色テロの時代を描くということは、濃い霧に覆われたような暗い時代に生きていた人々、死んでいった人々、殺された人々、生き抜いた人々のお話だからタイトルが『大濛(深く濃い霧)』なのか?と、昔の台湾映画『悲情城市』を思い出しつつ、この映画を観る前には単純に想像していた。
鑑賞しながら考えたけど、タイトルの意味は多分それで間違ってもいないけれど、劇中に出てくるお兄さん(育雲/阿雲)の描いた絵と物語のことを考えると、『霧』にもいろんな意味があるみたい。
主人公の阿月が兄(育雲)から渡されたノートに描かれた絵入り物語は
渓流の水の中に「阿水」と「阿迷」という仲良しの水滴が二粒おり、空に浮かぶ雲を見上げては自分たちもいつか雲になりたいと願っていた。
雲になったら世界中を巡り、あちらこちらの地上の様子を観察してみたい、そして、例えば砂漠を緑にするために雨となって降り注いで地中に吸い込まれるのも、地球の役に立つから良いではないか……
妹(阿月)は一滴や二滴、数滴では足りないのでは?と思うけれど、兄(育雲)は少ない雨でも繰り返し降ればいつか役に立つ日がやって来ると考えている……
兄のFirst Nameは「育雲」ですもの、雲になることを目指しますよね
雲のように「自由自在」に世界中を旅することのできる太平の世が理想
姉(阿霞)のもとに残された手紙の中では違うストーリーが語られており
先輩の「阿水」が先に雲になり、美しい彩雲を見上げながら「阿迷」も早く雲になりたいと願っていたけれど「霧」になってしまい、雲になれないまま時が経ち「阿迷」はいつの間にか消えてしまった、これは彼自身が「阿迷」ということ……
そして、雲になった「阿水」も雨粒にはなったけれど、陸地に降り注ぐ雨にはならずに太平洋に降ったので海水の中、何の役にも立たなかったと
雲散霧消とはこのこと也?
広東出身の車夫「公道」は自分のことを「趙雲」のような正義漢だと話していたので、彼も「雲」を目指していたことになるのか…
私が最初に考えたのは
理想を掲げて信念を曲げずに生きた結果、命を失った人が「雲」で
この時代を苦しみながらも何とか生き抜いた人が「霧」なのか?だったけど
観終わってから落ち着いて考えてみると違うのかもしれないと迷ってしまった。
兄の「育雲」のような人たちが「霧」で、しかも「大濛」として漂ったまま…
「公道」のように何度も拷問された挙句に25年間も収監されても、頑張って生き抜いた人が「雲」、ただし役に立つところに降ることは出来なかった雨粒
「阿月」や姉の「阿霞」のように無事に生き延びて、時間は掛かったけれど、子供のころに思い描いた理想の自分になれた人たちが「雲」で、彩雲のように輝いたのか
「阿月」の一人娘のFirst Nameにも「雲」が使われていたので
「雲」と「霧」の意味に拘りたくなってしまったけれど、雲だとしても霧だとしても『大濛』の中で必死に生きた人たち・台湾人の物語ということだけで良いのかもしれない。
と言いながらも、兄(育雲)が名付けた水滴の名前「阿迷」は彼自身のことなのかと思ったし、そうなると先輩「阿水」はどんな人なんだろうか?映画では語られないけれど、と妄想は続くのであった。
台湾の歴史を知っておいて観たほうが良いとは思う、近代の歴史年表を眺める程度でもね。
日本語字幕で観たので物足りない、中文字幕で何度か観ないと落ち着かない。